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2023年11月19日(日) 「ブラタモリ風(2)地形の秘密 芦屋川編」

今月の観察会は芦屋川周辺です。講師は黒田先生です、よろしくお願いします。

阪急芦屋川に10時集合。駅のすぐ横を流れる芦屋川に昭和13年の阪神大水害で流された橋の橋げたが今も残っています。左側にあるのは現在の橋で、ただいま改修中、その右にあるコンクリートの棒のようなものが昔の橋げたです。
六甲山が隆起を始めた時に2段になって隆起したそうです。そういえば山側を見てみると山の中腹に少し平らな所があるような・・・。
 橋を渡り芦屋川の東側を上流に向かっていくと細雪の石碑があります。芦屋は谷崎潤一郎の小説「細雪」の舞台となっていて、小説の中にはこの洪水の様子が描かれています。その向かい側にも碑が建てられています。ここが阪神大水害で川が決壊したところです。
さて、今日は黒田先生のご指導とあって地質と石の話がメインです。石垣に使われているのは六甲山の花崗岩です。六甲山で採れる石はこんな感じの赤っぽい色をしているそうです。なので、前出の阪神大水害の碑のは六甲の石ではないとの事です。
こちらも赤い色をしていますが、一部とても赤い部分があり、これは石の中に含まれている砂鉄がさびて赤くなっているんだそうです。六甲山の石には砂鉄分は含まれてないのでこれも六甲山の石ではないとのことです。
マンションの石垣です。すごく大きな石が使われていて、さすが芦屋と妙なところで感心!植え込みに置かれている石は流紋岩・凝灰岩だそうです。
そこからしばらく坂を歩いて芦屋神社に到着。この神社の創建は定かではありませんが、少なくとも古墳時代後期から飛鳥時代にはこの地は聖地だったと考えられています。こちらの神社は、芦屋を常宿としていた巨人軍の長嶋茂雄さんが、トレーニングを兼ねてよく来られたところだそうです。11月なので七五三のお参りに来られている方がたくさんおられました。
ここに古墳時代後期の古墳があります。古墳はOさんが専門なので解説をお願いしました。古墳は5世紀ごろから作られ始め、最初は首長級の人しか作ることができませんでしたが、後期にはちょっとお金のある人なら作れたそうです。もちろん規模は小さいですが、作りは大きいものと同じだったそうです。ここは今は水神様のお社となっています。
 芦屋神社を後にし、てくてく歩いて今度は市立芦屋病院の南に着きました。草を分け入って、さてここには何があるんでしょうか?草むらの中に大きな石を発見!
   この石の片方はすっぱり割られた感じです。これは大阪城再建の折、石垣を作るために切り出された石が、何かの事情でここに置き去りにされてしまったものだそうです。このような石を「残念石」と呼ぶそうです。石垣になれずに残念な結果に至った石・・・だそうです。このような石には刻印がされていて、それは石の切り出しに関わった大名とか、その他いろいろな情報を刻んだものだそうです。
 そこから南に下って朝日ヶ丘遺跡へ。ここには芦屋市全域を300分の1に縮尺して、市内の遺跡を紹介した触覚模型があり、自由に上を歩き回ることができます。遺跡の場所や、刻印のある石が見つかった場所、線路、川などが示されています。塗りが剥げていて読めない文字があったのが残念。
 次に岩園天神社へ。ここにも古墳があります。6世紀後半のものと言われ、石室が露出しています。もう一つ古墳があったらしいのですが、上に役行者の像が建てられており、古墳と気が付かずに通り過ぎてしまいました。この古墳は八十塚古墳群の一つで、八十と名前が付く通り芦屋ではたくさんの古墳が見つかっています。
 こちらは帰り道で見かけた大きな石で、小豆島のものだそうです。小豆島は良質の花崗岩・凝灰岩の産地として知られ、徳川幕府の大阪城再建の折にはたくさんの石がそこから海路で運ばれたそうです。

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